光母子殺人の差し戻し控訴審、24日から注目の審理開始(読売)
山口県光市で1999年に起きた母子殺人事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元会社員(26)の差し戻し控訴審の初公判が24日午後、広島高裁で開かれる。最高裁は昨年6月、2審・広島高裁の無期懲役判決を「量刑は不当」と破棄して差し戻しており、今回の裁判では死刑判決が言い渡される可能性が高い。18歳1か月で犯行に及んだ被告に死刑を回避すべき事情があるのかが焦点で、少年の凶悪事件に対する厳罰化を求める世論の高まりのなか、注目の審理が始まる。
「計画性のなさや少年だったことを理由にした死刑回避は不当で、破棄しなければ著しく正義に反する」
最高裁判決は裁判官4人の全員一致の意見だった。
最高裁は83年、4人を射殺した永山則夫元死刑囚(犯行当時19歳)の第1次上告審判決で、死刑選択に考慮すべき基準として9項目(永山基準)を挙げた。これ以降、被害者の数と、被告が少年かどうかが重視され、少年事件での死刑確定は永山事件と同様、被害者4人の市川一家殺人事件(92年)などわずかだ。
最高裁が戦後に2審の無期懲役判決を破棄し、差し戻したのは永山事件など2件しかなく、いずれも死刑が確定している。
差し戻し審について、土本武司・白鴎大法科大学院長(刑事法)は「1、2審で更生の可能性があるとした被告に死刑が言い渡されれば、厳罰化の流れが加速する」と話す。
弁護団は今年2月の記者会見で「殺意はなく、犯行様態も違う」と、最高裁が認めた事実に反論する姿勢を示した。独自に実施した「精神鑑定」など三つの鑑定の証拠採用を求める。被告人質問で反省の深さや矯正教育による更生の可能性を立証する。検察側は事実関係での立証はなく、弁護側の主張に反論する構え。死刑の相当性を述べ、遺族の証人尋問をして情状面を訴えるという。
裁判は6月に被告人質問が行われる予定で、早ければ年内にも結審する見通しだ。
2007年5月21日月曜日
2007年5月14日月曜日
死刑をめぐる都市伝説~死刑と無期では天地の差?
※無期刑は刑法上は10年で仮釈放の申請ができるが、実際の運用ではそのような短期での出所例は皆無。近年は特に厳罰化が進み、仮釈放を許される者は毎年数名で、仮釈放を許された者の在所年数については、2005年は平均27年2ヶ月となっている(無期刑集全員の平均在所年数ではない)。未仮釈放の長期在所者については、2000年8月の時点で在所40年以上が17人、在所50年以上が2人確認されており、仮釈放を許されないまま刑務所で死を迎える者も毎年複数名存在していることも確認されている。日本における無期刑受刑者数は1,467名(2005年末現在、矯正統計年報)で、近年著しい増加傾向にある。1960年を最後に無期刑囚の恩赦は記録されていない。
※日本の無期刑が決して軽い刑罰ではないことを前提に死刑制度は議論されなくてはならない。
参考【正論】帝京大学教授・土本武司 死刑は維持し無期は終身刑化を
≪無期刑も事実上は有期刑≫≪死刑と無期では天地の差≫
WIKIPEDIA日本語版 無期刑
※日本の無期刑が決して軽い刑罰ではないことを前提に死刑制度は議論されなくてはならない。
参考【正論】帝京大学教授・土本武司 死刑は維持し無期は終身刑化を
≪無期刑も事実上は有期刑≫≪死刑と無期では天地の差≫
WIKIPEDIA日本語版 無期刑
代用監獄、死刑めぐり質疑 国連委が初の対日審査
代用監獄、死刑めぐり質疑 国連委が初の対日審査(05/09 18:22)【ジュネーブ9日共同】
国連の拷問禁止委員会は9日、拷問禁止条約の規定に基づく初めての対日審査を実施した。自白強要、冤罪の温床と批判される代用監獄制度や死刑執行などをめぐる質疑を2日間にわたって行い、約1週間後に条約の履行状況に関する勧告を公表する。
日本政府は同委員会に提出した報告書で、憲法や刑法などが「公務員による拷問や残虐な刑罰を絶対的に禁止している」と説明。警察の留置場を拘置所代わりに使う代用監獄制度については「適切に運用されている限り、条約上の問題はない」と主張。死刑制度も「極めて厳格かつ慎重に行われている」としている。
これに対し、日弁連や国内外の非政府組織(NGO)は同委員会に計5通の意見書を提出。日本政府が代用監獄制度で犯罪容疑者の長期拘置と長時間の取り調べを行い、容疑者の人権を著しく損なっていると指摘。死刑制度の在り方も「民主国家にふさわしくない」などと批判している。
袴田事件 死刑囚の無罪を当時の裁判官が涙の告白
愛媛新聞社online
元裁判官の告白
DATE:2007/05/14 15:31
「一瞬、私のひざがガクンと折れる…倒れそうになるからだに力をこめてこらえ、青衣の男を見つめた」。免田事件で再審無罪となった免田栄さんは、処刑場へ向かう死刑囚を拘置所の窓から目にしたショックをそう語る(「死刑囚の手記」イースト・プレス)▲
無実を訴える身に執行が現実味を増す。想像の及ばぬ恐怖だろう。極限の心理状況に置かれ続けるのはこちらも同じに違いない。一審の死刑判決から三十九年。冤罪(えんざい)を訴え、やはり再審を求めて最高裁に特別抗告中の袴田事件の袴田巌死刑囚だ▲
その死刑囚の胸を埋めるのは一筋の光明にすがる思いか。それとも司法への抑えきれぬ怨嗟(えんさ)だろうか。やや古い話だが、一審で主任裁判官を務めた熊本典道氏が無罪を確信していると口を開いた▲
「週刊金曜日」四月二十日号に熊本氏のインタビューがある。裁判官三人中、熊本氏ら二人が無罪側だったのが報道や自白で揺らぎ、一人が死刑へ転じたこと。そのため判決文では、無罪を強く示唆する論理構造から強引に死刑へ導いたこと。見解の客観性には異論もあろうが、衝撃的告白だ▲
評議の秘密があるから現職裁判官なら罷免されかねない。でも一時は海外で死地を求め、人生の終盤を自覚して決意した人に大きな問題ではないだろう。裁判の信用性は重要にせよ、人権を犠牲にして成り立つのでは本末転倒になる。死刑判決に誤りはなかったのか。知りたいのはその一点だ▲
司法の回答を、同じ重責を背負う未来の裁判員も見逃せない。
2007年5月13日日曜日
宮台真司の死刑観
死刑制度の社会学的考察
すなわち、私たちは、死刑廃止論者のある種の「鈍感さ」に憤りを感じざるを得ないのである。
私自身は死刑廃止論者である。しかし『これが答えだ!』などに書いてきたように、条件つきである。条件とは、被害者遺族の感情的回復を支援するような社会的装置の整備と一体になったかたちで、死刑廃止を実現するべきであるということだ。
欧米では、宗教者たちが死刑廃止運動を担う。しかし彼らは同時に、死刑による感情的回復を図ることができない被害者遺族に対するケアを行なってきた。犯罪加害者に罪を悔い改めさせ、悔い改めた加害者と被害者遺族のコミュニケーション機会を作るなどして。
日本はどうか。「前提を欠いた偶発性」を馴致する宗教装置のない日本では、とりわけ、被害者遺族の感情的回復が重要視されなければならないはずだ。にもかかわらず、鈍感な人権論者が、誰でも言える死刑廃止論の理屈をぶっているだけではないのか。
まずは、被害者やその家族の感情的回復にどんな手立てがありうるのかを徹底的に模索する責務が、死刑賛成反対の別にかかわらず私たちの側にある。そのことに鈍感な人権論者が、「加害者人権ばかり重視する」と批判されるのは、理屈の正誤にかかわらず当然だ。
私たちは被害者の感情的回復と社会の感情的回復とのズレに注意しよう。社会成員の大半は犯罪で家族を殺されない。故に「社会が断固とした姿勢を示すべきだから死刑!」「人権の観点を重視すべきだから死刑反対!」で済む。犯罪被害者や家族はそれでは済まない。
彼らの一部は、犯罪加害者の悔い改めを要求しよう。別の一部は犯罪動機や原因の理解(に必要な情報公開)を要求しよう。別の一部は重罰化──死刑──を要求しよう。別の一部は犯罪率や再犯率を低下させる施策を要求しよう。別の一部は宗教を要求しよう。
これらの中の特定の選択肢を要求している犯罪被害者や家族が、別の選択肢が実現することで、代替的に癒されることもあろう。そういう代替選択肢の模索活動のなかに、死刑廃止運動が位置づけられなければならない。私はかねてそう主張しつづけてきた。
細かいことを述べれば、感情的回復に資すると見える重罰化が、再犯率低下とは逆方向に作用したり、被害者や家族の感情を逆撫でするように見える刑務所や少年院の処遇改善が、再犯率の低下に貢献したりといった微妙な問題もあり、研究の蓄積が要求されている。
その点、本書は、現在の刑務所や少年院のシステム、刑罰や処遇のシステムが、再犯率を減らす真剣な工夫と無縁であることをも告発する。脳天気な社会防衛論と、脳天気な人権論との狭間で、被害者や家族の感情は置き去りにされてきた。2002年8月15日
藤井誠二『少年に奪われた人生』(朝日新聞社)に対する書評から一部抜粋
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